曾野綾子先生、使い方間違ってます

投稿者: 投稿日時: 2009/09/25 21:43:32

9/25日付け産経新聞の1面に作家の曾野綾子の『小さな親切、大きなお世話』というコラムが掲載されている。

「日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれない」という書き出しで始まる文章は、サウジやクウェートは降雨がきわめて少ないと続き、こう書かれている。

「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」

あれ?「甘受」って違う意味に使うんじゃなかったっけ? と思った。甘受とは、いやなことを敢えて受け入れることをいうのだと思っていた。私にとり、甘受≒苦汁を飲むなのである。

念のため辞書を引いてみたところ、やはり「やむをえないものとして受け入れること」とあった(明鏡国語事典)。曾野綾子はそれと見せずに言葉に厳格だと思っていたので意外だった。

吉本ばななじゃあるまいし、この人はこういう間違いはしないだろうなあというのは完全な私の思い込みだったわけだ。なんというか、他はどうでもいいが書くことと神様と野菜づくりには真剣白刃だというイメージがあったので。

曾野綾子は謙虚なふりをして傲岸不遜に他者を批判する。その嫌みったらしいほどの書きっぷりに、底意地の悪さが出ていて、この人の味になっているのだが、ここまでいやらしさを匂わせる才覚があるのだから、正直一般人と同じような間違いはしてほしくない。

蛇足だが、エッセイで醸し出す上記のようなすばらしい才能は、小説には出てこない。同じことを書いていても、エッセイと小説では視点が異なるからかもしれない。

『談話室』に投稿してもぜったいにボツになるだろうから、こちらに投稿した。


これまでのコメント

  1. 匿名 :

    >>曾野綾子は謙虚なふりをして傲岸不遜に他者を批判する。
     
    この人って、クリスチャンの嫌な面を完璧に備えている人だよね。
    枢機卿が移動の時に飛行機のエコノミークラスを使うって、さも有り難そうに昔週刊誌
    に教訓話めいた事を書いていたけど、その時この人の底の浅さが見えた気がした。

  2. 親父 :

    曾根綾子は保守の論客だと思うが、クリスチャンなので一神教の悪い面が出て論評が辛辣となる。好き嫌いの問題だな。

    甘受とは、日本のような変化に富む自然の影響を甘んじて受けるという。
    日本人が自然の変化に対応し、自然に感謝する民族だということを表現してるのではないか?

  3. kenji :

    与えられてる事に ”甘えて受け入れて楽々としている” という意味の術語がほしかったのですね。
    降雨の少ない砂漠地帯との比較が出てることから間違いなくその意味だ。
    (甘受け と 辛受け とで区別できてれば良かったのかナァ? 今からではムリ)
    - - - -
    小、中学生(に限らないが)は使われる場面からそのことばの意味を推定解釈して学ぶ。
    その意味でも罪深いね。
    そんな事で段々意味が違って慣用化されてる言葉も結構あるよね。
    先だってもそんなニュースがあった。

  4. 匿名 :

    投稿者です。私も間違えてました。
    『明鏡国語事典』ではなく『明鏡国語辞典』でした。申し訳ありません。曾野先生、どうぞたっぷりの皮肉を浴びせてやってください。甘受します。

  5. 成山 :

    2つの意味があるようです。本来の意味は、「快く受け入れる」とか、「気持ちよく引き受ける」のだそうです。無論、投稿者さんの意味もあります。なので、文脈上でどちらの意味か判断すべきことと思いますので、「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」 は素直に本来の意味で解釈すべきと思います。

  6. 匿名 :

    本来の意味はどの辞書に載ってますか? 一般的な辞書は、どうして二通りの意味を載せないのでしょうか。

  7. 成山 :

    @ :
    GOO辞書に載ってます。
    http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/Suppose/m0u/

  8. 匿名 :

    見つけられませんでした。
    もういちど訊きますが、どうして一般の辞書には本来の意味が記載されていないのでしょう。もう事実上使われていないからではないでしょうか。『すさまじきもの』みたいに。

  9. 成山 :

    @ :
    広辞苑第三版では、さかわらずに甘んじてうけること、(もとは、快く受ける意)「運命を甘受する」・・・なので、運命がどういうものかにより、投稿者さんの意味にもなり、曽根綾子さんの使った意味にもなると思います。広辞苑の例文でいえば、「過酷な運命」の場合、「さかわらずに甘んじてうける」ことであろうし、「幸運な運命」であるなら、「快く受ける」ことになると思います。甘受の用法事例がいつの日か前者が多くなった、多分もとの意味を承知で誰か有名な作家が使ったのではないでしょうか、それから一般に混乱がおきて前者の使用例が多くなったという事となのでしょう。曽根綾子さんは作家ですから二つの意味を承知の上なのでしょう。勘ぐるとすれば、「甘受」とは本来「快く受ける意」なのであって、今の用法は本筋と違うのだということを言いたかったのかも知れません。少し弁護しますと、知人が曽根綾子さんのボランティア活動を手伝っていましたが聞く限りなかなかの人柄のように思います。

  10. 成山 :

    @ :
    goo辞書
    http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/41115/m0u/%E7%94%98%E5%8F%97/
    で「捕捉説明」で表示されてますよ。
    1990年の漢語林(大修館書店)では、「1が、こころよく(満足して)受ける、2が、あまんじて受ける。苦難などを心静かに受けること」になっているので、逆転しているのは最近なのですかね。いずれにしろ二つの意味があるようですね。一応名のある作家の書いた文章なので用法に余り間違いはないと思った方が良いかと思います。

  11. 投稿者 :

    名のある作家が書いたから、という理由で、たったこれだけの例で2つの意味がある、というのは納得しかねますね。汎用性があればすべての辞書にそう記載されているはずですから。
    『もとの意味は』とあるので、ある時期に語用の転換が行われた、ということでしょう。そしてそれも他の辞書には記載がありません。
    曾野綾子氏が、名があるかどうかは別として(ご本人はこう言われるのを好まない気がしますが)、書くことに真摯であり、書いたのが新聞という、一般読者を対象とした媒体のコラムであれば、化石化した語を用いるとは思えません。
    そして、私が知るかぎり曾野氏はそのようにわざと死語を用いることはしません。やはり誤用だったのだと思います。

    それから、私は曾野綾子氏の人柄を批判してはいません。面識はありませんが、文章から非常に誠実に生きている方であると感じます。ひとりの人間には様々な性質が宿っています。氏は、ひねくれた自己に焦点を当て、小説を、エッセイを書いているのだと思います。

    知人の言葉より、あなたの、氏の作品から見た曾野綾子観を聞きかったですね。作品と、作家に対する他人の評価など関係ないではありませんか。
    私は氏のあの謙虚なふりして傲岸不遜に他者を批判するひねくれた文章に知性を感じますけどね。

  12. 成山 :

    @ 投稿者:
    曽根綾子さんの作品は興味もないし一編も読んだことありません。ただボランティア活動をしているのを知っている(活動内容は詳しくないのでもうしません)のと、藤森元大統領を支援したときにそんな日本人がいたんだと感心しました。この意味で尊敬するに値すると思っています。

  13. 投稿者 :

    少々論点がずれているように思います。私は氏の言動ではなく、文章から論じています。

  14. :

    確かに、論点がずれていますね。曽野さんの表現は現在の日本語では誤りでしょう。
    尊敬に値する方であることと誤記は別の話です。
    でも、ここじゃなくて新聞に投書すれば良いのではないかと思いますね。

    ところで、投稿者さんの”真剣白刃だ”という表現は意味がわかりません。
    こんな表現方法ありましたっけ?真剣白刃取りは知ってるけど。

  15. 成山 :

    @ 投稿者:
    「日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれない」という書き出しで始まる文章は、サウジやクウェートは降雨がきわめて少ないと続き、こう書かれている。
    「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」
    ---------------------------
    で使用されている「甘受」の意味を置き換えると、
    ==>1.「日本のように自然の恩恵を快く受け入れることはできない」 と
       2.「日本のように自然の恩恵をさかわらずに甘んじて受けることはできない」
    の違いなのだが、「自然の恩恵をどのように思うのか」で解釈すれば良いと考えます。書き出しでの表現「日本という・・・・かもしれない」を素直に解釈すれば、・・1の解釈で良いと考えます。なぜなら、書き出しの前半で述べている日本の自然に対する日本人の思いは1でしょう。そうすれば書き出しの後半の意味とつじつまが合います。おかしくない。で、砂漠地帯に関する自然に対する思いは「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」なので日本の自然と違うとしています。甘受を1の意味で解釈すれば書き出しを合わせて考えてもつじつまが合っています。極論すれば2で解釈してもそれほどの大差はないように考えます。理由は、日本と砂漠地帯では自然の恩恵が異なると言うことは「現実」と「投稿内容」に一致、またそれは「甘受」の意味に依存していない。従い、「甘受」をどのような意味に解釈するかは、書き手及び読み手の日本の自然に対する思いに依存する事になると考えます。投稿者さんと曽根綾子さんとの甘受に関する解釈の違い、言うなれば日本に自然に対する思いの違いであって、特別に問題視する事柄に思えません。

  16. 投稿者 :

    曾野綾子氏のコラムの全文は以下の通りです。これを読んでまだ2通りの意味があると言うとしたら、かなり独特の言語観をお持ちではないかと思ってしまうのですが。正直、この種の反論がくるとは想像していませんでした。意地になる気持ちもわかりますが、かなり無理がある論理ですよ。

    以下、平成21年9月25日産経新聞より引用

     日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれない。
     日本を含む東南アジアで時々激しい夕立に遇うと、私はサウジやクウェートの人はこれを見ただけで腹が立つだろう、と考える。
     それらの国には、莫大な石油が眠っているとしても、降雨量は極めて少ない。野菜は温室ならぬ人工冷室の中に植え、その1本1本の苗の根本に、一滴ずつの真水が垂れるようになっていた。水は海水を真水に変える操作が要る。日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない。
     オイルはマネーになるかもしれないが、人間はオイルを飲んで生きることはできない。天然の真水が十分に供給されるということは、イスラムの人たちの概念から言っても天国の境地である。
     ある国が、他国と陸地で国境を接していない、ということは、誰も意識的にそうしたわけではないが、実に大きな幸運なのである。
     南アフリカ共和国の北東部にはクルーガー国立公園という途方もなく大きい野生動物保護区がある。長さ320キロメートル、幅は80キロメートルもあるというから、私たちの国立公園という概念では、とうてい計り切れない。この国立公園はジンバブエやモザンビークと国境を接しているが、隣接した国から難民たちが流れてゆく話を聞いた。
     とにかく難民は鍋や衣類や食料を持って、地続きならどこへでも戦火を避けて歩く。大地が繋がっている限り、彼らは危険を避けて移動する。
     その中には、知らず知らずのうちにクルーガー公園に迷い込んだ人もいた。別に鉄条網や塀がずっと張りめぐらされているわけでもないらしい。あったとしても、命の危険を逃れるためなら、どんな境界線も乗り越えるだろう。その結果、ライオンに食べられた人も結構いた、というのである。
     南アの北東には、モザンビークとの間に小さな王国がある。スワジランドと言い、私は1994年、当時、国連難民高等弁務官でいらした緒方貞子さんの取材記者として随行したのである。
     王さまはムスワティ3世。イギリスのドーセットで勉強した。だから完全な英語で話す。もっとも、当時、お妃は5人おられ、現在は11人以上だという。この王国の当時の人口は多分100万を少し切っていた。
     そこへ3万4450人の難民を受け入れた。日本の人口比に直すと、420万人もの貧しい難民を受け入れた勘定だ。若い王は貧しい国民のことなど考えずぜいたくをしているという説もあるが、難民の保護は「父の当然の行為」とし、各家庭にヤギなどを与えた。
    スワジランドは裕福な国を言っても1人当たりGNI(国民総所得)は2500ドル余。日本は4万ドルである。しかるに、日本の1年間の難民認定数は100人以下だ。
     ドナウ河の水利権の複雑さや、先日、北朝鮮が臨津江の水を急激に無断放流して韓国側に危機感を与えた件など、1本の河の流域を何国もで共有する苦悩はどれほどのものか知れない。すべての問題をとにかく自国内で解決できる幸運は例えようもなく大きいものだと自覚すべきだろう。

    引用ここまで

    1.「日本のように自然の恩恵を快く受け入れることはできない」
    2.「日本のように自然の恩恵をさかわらずに甘んじて受けることはできない」

    両者ともこの文章の趣旨とまったく合っていません。1.は現在では誤用、2.に至っては完全に文意に反します。1.を言いたいのであれば「享受」などほかにいくらでも用いられる言葉があり、あえて誤用ととられる「甘受」を用いるのは不適当でしょう。

  17. 成山 :

    @ 投稿者:
    良く読んで見ましたが、1で解釈すれば素直に読める。貴方が言うように今は2の解釈が正しいとします(貴方の持つ辞書が基準)。「日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれない。」この表現は、「日本人は自然のありがたい恵みをそれがなぜそうなのか意識しないでいる」と解釈します。次に砂漠地方の自然状態の説明があり日本の自然と違う表現しています。次に「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない。」となる。ここで、「甘受」の意味を1で解釈すればかなり素直だが、辞書と異なる意味で解釈した(作文した)ので誤りである。というのが貴方の言い分と思います。2で解釈すればその通りでしょう、同意します。でも1で解釈すれば別に何の違和感もない。ですが貴方の持つ「辞書が絶対である」とするなら2でしょう。そうすると文章の持つ意味あいが変わってしまいますので作家曽根綾子は間違っていると。ただ、曽根綾子さんに限らず貴方を含めてそあなたの持つ辞書が変わるまで、1または他の解釈ができないとなると不便ですね、言葉は人が使うものであり少し長い時間をかけながらその意味が変わって行くので、変わりゆく間は複数の意味が存在することやむを得ないと考えます。また、貴方が曽根綾子さんひいては産経新聞に疑義をもつことを否定しているつもりはありませんので誤解なきようお願いします。

  18. :

    真剣白刃はムシか・・・・。

  19. 成山 :

    @ プ:
    真剣白刃って、
    「吉本ばななじゃあるまいし、この人はこういう間違いはしないだろうなあというのは完全な私の思い込みだったわけだ。なんというか、他はどうでもいいが書くことと神様と野菜づくりには真剣白刃だというイメージがあったので。 曾野綾子は謙虚なふりをして傲岸不遜に他者を批判する。その嫌みったらしいほどの書きっぷりに、底意地の悪さが出ていて、この人の味になっているのだが、ここまでいやらしさを匂わせる才覚があるのだから、正直一般人と同じような間違いはしてほしくない。」
    これですか? 1で解釈したら前段は完全に誤りと思います。後段は、前段が真と思って曽根綾子に対する私怨を述べているので、1の解釈をする人からは私怨の伝わり方が半分程度、人によっては0に近くなると解釈します。以上です。あしからず。

  20. :

    @ 成山:
    さっぱり意味が分かりません。
    曽野さんの甘受は誤用です。尊敬してるからってムリヤリこじつけなくてもいいじゃん。
    真剣白刃は投稿者の誤用と思ってるんだけどどうですかね?>投稿者

  21. :

    あ、白刃が無ければぜんぜんおかしくないですよ。

  22. 成山 :

    @ プ:
    真剣白刃は「しない等でない本物の刀」が鞘から抜かれた状態を言いたいのではないでしょうか。普通、真剣か白刃のどちらかの表現で良いと思います。時代小説等でも「真剣」と「白刃」が重なっては表現されていないですね。失礼しました。「甘受の解釈」は貴方がどのように思おうとどうでも良いのでこじつけと思って頂いて良いです。

  23. 投稿者 :

    @ 成山:

    すみません。言っている意味がさっぱりわからないのです。曽根綾子とは曽野綾子でいいのですよね? 私怨が私が曾野綾子氏に抱いているものとういうことでしょうか? 先述したとおり、私は氏に一面識もないですし、氏も私を知りませんので双方私怨を抱くいわれはありません。ひとつの言葉がどれだけ市民権を得ているかを判断する場合、複数の辞書を照会することは必要です。また「本来の意味は○○、転じて××」となる場合は「本来の意味」はほぼ死後となりつつあると解釈できます。しかし成山氏の引用からすると、なりつつあるのではなく、すでに死後となっている記述のように見えます。またほかの辞書で本来の意味の言及がないのは非常に不自然に感じます。現実的に、甘受が享受の意味で使われることはありませんし、辞書も「私の辞書」以外でも「やむを得ず受け入れるもの」となっています。たった一社の辞書だけでは有用性があるとはいえないですね。

    そして、そこまで擁護するほど尊敬している人物の著作に興味を示さず、1作も読んだことがないというのはかなり不自然ではあります。

  24. 成山 :

    @ 投稿者:
    なにか覚えに誤りがあったようですね、曾野綾子さんですね。失礼しました。で、甘受については投稿者さんの解釈で宜しいのでしょう。文脈を理解して読み手が解釈すればよいのでは。読み手が思う文脈の意図が作者の意図と違っているならそれはそれで良いのではないのでしょうか。従い己の解釈と違うと思うなら、その文章および意図を己の頭から捨て去ればよいのではないでしょうか。後はその件に付いて目くじらを立てるかどうか、立てたならその目くじらに同調するだろう方々にその件をアピールしたかったのではないのでしょか。違いますか。

  25. 投稿者 :

    >甘受については投稿者さんの解釈で宜しいのでしょう

    ようやくご理解いただけたようでほっとしています。

    >己の解釈と違うと思うなら、その文章および意図を己の頭から捨て去ればよいのではないでしょうか

    捨て去るかどうかは本人が決めることで、論談に投稿するかどうかも他人から指図されることではありません。

    >はその件に付いて目くじらを立てるかどうか、立てたならその目くじらに同調するだろう方々にその件をアピールしたかったのではないのでしょか。違いますか

    目くじらをたてる人の同調を目的に投稿したのではありません。産経の投稿欄は没になるのがわかりきっているので論談に投稿し、もしも論談にふさわしくないということであれば編集部が削除しているはずです。むしろアピール目的という発想をする成山氏の人となりに驚いています。
    異論を捨て去るしかない社会であれば、論談の存在する理由がありません。どこに投稿するも私の自由であり、私の投稿が削除されていないということは、論談がそれを許しているということではないでしょうか。
    それをいうのなら、あなたが私の投稿を見なければよい、との見方もできます。

  26. 成山 :

    @ 投稿者:
    わかりました。文章を読んでそれをどのように受け止めるかは読み手によると思います。従い、産経に載った曾野綾子の文章、投稿して頂いたコラム内容を読む限りは「甘受」の解釈如何でしょう。投稿以降がどうなるのか分からないがそれほど変な事を述べてはいない。全体の論調は日本を取り巻く自然も含めて日本が恵まれているといっている。多分投稿以降は前書きの論調から言えば「日本人よあんまり甘えるな!外を知れ!」かな?で、仮にそれに反論するなら、「甘受」の解釈での反論のみでは心許ないですね。投稿者は産経の意図的な没に引っかかると考えているようですが、投稿内容を読む限り確かに不採用でしょうね。

  27. 匿名 :

    何言ってんだかさっぱりわからん>成山

  28. 成山 :

    @ :
    要するに「甘受」という単語の意味について及びそれを使用した文章について、「ああだ」、「こうだ」とやりとりしています。

  29. 投稿者 :

    正直申し上げて、私も成山氏が何を言いたいのかわからないのです・・・

  30. 成山 :

    @ 投稿者:
    そうですか、では、これまでにします。

  31. 匿名 :

    わかるような人なら、こんな投稿はしないでしょうね。

  32. 匿名 :

    言葉の主な意味は変遷するものです
    例えば笑し千万は本来悲しいという意味で葬式用語でもありましたが
    今葬式で笑し千万などと言ったら殴られますよ
    甘受も曾野綾子の使い方が本来ですが
    今の人はそういう使い方はしないでしょう
    しかし論壇で日本後談義が行われるのはめずらしいことですね

  33. 匿名 :

    こいつのコメントなんかわかるやついないよ。ていうか言い掛かりつけたいだけなんじゃないの。あとのコメントは所詮言い訳なんだから訳わからなくなるのは当たり前。

  34. ぽんちゃん :

    うーん、難しい・・・

    自然の恩恵を【甘受】する。

    自然の恩恵を【享受】する。

    【甘受】が誤用というが、オラにはそうは思えないのです。
    【享受】を使用した場合、利己的に受ける意味合いが
    大きいようにも感じるのだけど・・・

    『日本という国がどれほどありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとんど考えたことがないのかもしれない。
     日本を含む東南アジアで時々激しい夕立に遇うと、私はサウジやクウェートの人はこれを見ただけで腹が立つだろう、と考える。』

    文頭がこの様に始まるのだからこそ【甘受】を使いたかったのではないかと思うのですが・・・無学のぽんの戯言ですが如何でしょう?

  35. 匿名 :

    @ ぽんちゃん:

    このケースの「甘受」は誤用です。語感や見解の違いではありません。

  36. ロキ :

    単なる「享受」の間違いだ。そのくらい分かってやれ。でも、変換間違いだとしてもちょっとスマイル。

  37. tak :

    『日本を含む東南アジアで時々激しい夕立に遇うと、私はサウジやクウェートの人はこれを見ただけで腹が立つだろう、と考える。』

    私の考えでは、夕立=予想外の雨…しかも結構な降水量。よって嫌な雨として思われがちでは無いでしょうか?

    ですので、投稿者さんの言う、
    甘受とは、いやなことを敢えて受け入れることをいうのだと思っていた。私にとり、甘受≒苦汁を飲むなのである。
    との意味を理解して使われているのでは無いでしょうか??

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