終末期医療はどうするか(RS-77)
投稿者: 投稿日時: 2009/08/06 10:04:20
昔は医療は医者まかせでしたが、最近は自己決定権とかいって治療選択を迫られます。いいことか悪いことかにわかにはわかりかりませんが、末期治療もそうです。呼吸がとまった場合どうしますか。気管に挿管して人工呼吸器につなぎますか、それとも自然にまかせますか?
だいたい患者本人はもうよいよいで意識もないので、きかれるのは家族ですが、本当に家族がこんなこと決定していいのでしょうか?
一般論からいえば、意識不明の人を長期間人工呼吸で生かしておくことが本人のためとは思われませんが、家族は一日も長く患者と一緒にいたいかもしれません。
アメリカのカレンさん事件では裁判所が人工呼吸器の取り外しを決定し、主治医がそれに従わなかったことがありました。
問題は人工呼吸器をつけるかどうかは家族の意思に従うのが通例なのに、はずすことは家族にも医師にもできないのが通例なことです。しかしこれはおかしくありませんか。
人工呼吸器つけてはみたが、改善のきざしもないので、はずすという選択があってもいいと思います。おそらく安楽死に関する事件で医者側にトラウマがあるのでしょう。
たとえば、東海大学事件でも医者は家族から頼まれたと証言しているのですが、家族は頼んでいないという。それはたのんだというと人殺しといわれかねないからです。当事者と親しくない人ほど無責任に人殺しなどと口走ります。
生死は本人固有の権利だと思います。だから自殺の自由もあるのでしょう。ただし他人に迷惑をかける方法はだめですが。
現在尊厳死の宣言書というのがありますが、元気なときから死に思いをいたしている人は少ないので、なかなか発展しません。われわれもいずれはくる自分の死をどういう形で迎えるか考えておくべきでしょうね。
よく別の意味ですが、「畳の上で死ねない」というせりふがあります。やはり日本人は家庭でたたみの家で死ぬのが理想だと思います。末期医療の過剰診療の問題も検討の余地があるでしょう。

2009/8/7 金曜日 at 8:22 AM
人工呼吸器に繋ぐと理論的にはいつまでも生きるのですか?
2009/8/7 金曜日 at 8:42 AM
呼吸はできても心臓がとまると死ぬでしょ。
それに人工呼吸器つけてても痰がつまれば終わりですよ。
2009/8/7 金曜日 at 10:34 AM
医学の進歩もいいんだか、わるいんだか。
端で見てるのも、なんともつらい場合もあるな。
2009/8/7 金曜日 at 6:25 PM
友人に聞いた話ですが、親戚のペースメーカーを付けているおばあちゃんが臨終の間際に心臓だけが何度も生き返るのでおじいちゃんが怒って、医者に楽に逝かせてくれと怒鳴ったそうです。
2009/8/7 金曜日 at 6:46 PM
うーん
奥深い話ですな
人工呼吸器とペースメーカーでは永遠に死なないかも
2009/8/10 月曜日 at 2:46 PM
若いうちに脳死移植拒否と終末医療拒否カードを用意しておくべきでしょうね。
脳死は助かる見込みがありますが、終末医療は意味のない物理的延命ですからね。
2009/8/10 月曜日 at 5:23 PM
おれは延命はいやだな。
だいたいおいしいものが食えなくなったら、生きている意味がない。
人それぞれ思っているところがあると思うのだが。
法律とか責任とかいってなかなか死なせてくれないのが現実だよ。
2009/8/14 金曜日 at 8:57 AM
お盆になると死者が帰ってきます。
死ぬとき、管につながれていてよかったかどうか聞いてみたいものです。
2009/8/17 月曜日 at 7:52 PM
おれの母親の場合だが、91歳で脳出血、延命のため頭蓋骨
パックリ開けて、血を取り出せば生きると、ただ植物状態だろうとのこと、
俺は長男で同居して面倒見てきた、で、呼ばれて、どうすると医者は言うんだな、
2回は確認するな、看護婦も聞き耳たててる、延命すれば金になる、勝手に殺せば
責任問題、で、それは無用にお願いします、と俺は言った、その医者に貴方の母親の場合
だって、貴方はそう言うでしょうとは言ったかどうかは記憶にない。
2009/8/23 日曜日 at 8:30 AM
入院時に意識のある人には死の方法を聞いておけば良いのでは?
2009/8/23 日曜日 at 8:47 AM
端的に言うと、人間の技術は自然の流れを変えてしまう位に
発展してしまったのが、終末医療を考えなければならない、そもそもの原因です。
いまや、人類は体がくっついて生まれてきてしまった、障害児の体の分離させることが
できるようになり、体の組織の一部から、あらゆる臓器を製造できるようになり、
はたまた、体の組織の一部から新たな個体を丸ごと製造できるようになりました。
(クローン問題)
もはや、人間の死というものは、これまでの自然死観ではとらえることが困難なくらい
バイオテクノロジー技術、医療技術が発展してしまいました。
別な個体間で脳を交換することさえできるのです。すなわち、呼吸が停止したからと
いって、すぐ死の定義には入れることができなくなってきているのです。
したがって、これまでの自然死観の定義の範囲の死の領域に個体の生命の死を
自らの意思によって断末魔の苦しを享受することなく導く必要性があり、
これからの現代人の倫理観の中には、基本的人権の一つとして”死の選択の自由”を
定義付けする必要があります。この死の選択の自由の倫理観を取りいれることができず、
拒否・妨害ばかりをする連中は、己の属する宗教活動の妨げになることを恐れて
活動しているという不誠実で不謹慎な理由ばかりです。
そろそろ、皆さんも近代的な倫理観である”死の選択の自由”を受け入れる覚悟と活動を
されては如何でしょうか?
2009/8/23 日曜日 at 8:55 AM
↑
最近では出色のご意見です
同感
2009/8/24 月曜日 at 8:15 PM
わたしの母は常日頃、無理な延命はやめてくれと言ってましたので、
高齢でもあるし、即座に口から出ました。
わたしの場合もそうして欲しいと言っておくつもりです。
人間は何時かは死にます、おそいか、はやいか、の違いです。
2009/8/25 火曜日 at 1:37 AM
介護経験者です。大好きな祖父の介護をしていました。いよいよ弱ってしまい入院。
病院通いの日々。徐々に食事を取らなくなり、何とか食べさせようと毎日戦い。そんな私に主治医は言いました「人間はね、寿命がくると、自然と食事を取れなくなって行くものです。それを無理に強いるのはどうなんでしょうね?」その時、ハッとしました。今の祖父は、毎日私に責められて幸せなはずがない。でも生きて欲しい。その時には答えは出ませんでしたが、年を取り、自分自身がガンなども経験し、今の私は、最後まで納得のいく生を全うしたい。死に向き合い、受け入れて、最後の時を迎えたい。
今、そんな心のケアをできるホスピスが必要なのではないかと思う。
2009/8/25 火曜日 at 3:46 AM
沖縄の人は家で死ぬという
人工呼吸器つけていても死器が迫ると
医者がハイヤーにのせる直前に抜管するらしい
これは慣習だが一つの死生観といえる
2009/8/25 火曜日 at 4:32 AM
人間以外の動物は生殖が終わると死にます
人間は生産力の向上によって生き続けますが
死に方を考えておく必要が有るでしょう
一方高齢化社会では姥捨山思想が復活しそうですが
死は社会が決めるもの出なく各自が決定すべきものでしょう
2009/8/25 火曜日 at 10:06 AM
終末期といえば自民党もそうだが、これは処置に困る。
発展的解消がよいのではないか?
2009/8/25 火曜日 at 11:12 AM
平均寿命を目安に考えるのも手ですね。
もちろん個人個人の考えは尊重しますが、意識不明で意志を表明できないときは。
2009/10/25 日曜日 at 2:04 PM
脳死が人の死となったのに
脳死で人工呼吸機を外すのは2%だそうです
金儲けでなく医者がびびっているからでしょう
国民的合意が必要です