原爆症認定集団訴訟問題について
投稿者: 齋藤省三 投稿日時: 2009/06/01 19:09:26
原爆症認定集団訴訟問題が政治決断を為されるか否かのギリギリの局面にあるとの報道記事に接し、一在京広島県人としての考えを述べたいと思います。
政治決断というからには正に大局的見地からのこの問題への見解が問われる訳です。率直に非難を恐れずに言いますと、「戦後日本の経済的復興の根底には米国や原爆開発者の主体となったユダヤ系グループの贖罪感が根底にあった」と思います。当然に単純にそのことのみのお陰とは言いません。
世界経済の冷戦体制諸々もあったでしょう。与えられた世界市場に向けての日本企業の真摯な努力も当然です。しかしそうではあっても根底には彼らの贖罪意識があったことを想像しない訳にはいきません。
そのことを日本の主要論調として正面から明らかにしなかった日本政治に、ある意味、嫌らしさや狡さがあった訳です。
又、日本政治という概念のみならず、原爆症認定集団訴訟の運動主体たる日本の反核運動団体においても声を大にすることの無かった側面です。
核廃絶を願う日本の反核運動が核拡散を抑制する力に働くと同時に、一方では既存核保有国の優位性を助長するという現実的問題には、「祈り」しか為す術がなかったのです。
北朝鮮が正にこの局面でミサイルや核実験云々は偶然の挑発行為ではなく、世界政治の裏側でリンクされた挑発的演出行為であり、そしてそうである中での全体を見渡した政治判断が求められるのです。
いまひとつ大事な点は、あの戦争で核兵器の開発を米国やユダヤ人科学者グループよりも先んじて当時の日本が為しえていれば、間違いなく我々の先輩達は使用していたに違いないとの確信です。
厚労省が拘るところの科学的因果関係や原爆症認定以外の多くの諸問題との整合性、そして原爆被害だけではない日本の戦争被害者への兼合い等の様々なことへの影響を考慮しなければならないのは当然です。
以上のことを全般的な理解としている私のこの問題に対する考えは、「全被害者救に向けて政治的決断を日本国政府は行うことが、過去の意味においても、そしてこれからの日本と世界の建設的意味においても実に重要な判断になる」ということです。

2009/6/2 火曜日 at 10:37 AM
被爆国「日本」にもあった幻の「原爆開発計画」
http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-entry-476.html
湯川秀樹氏が日本人のノーベル賞受賞者第一号だった背景にも、知られざる真実がありそうで、究明と政府発表が望まれます。