保守思想が再び日本で蘇れば、日本の再生も可能だ 【団塊】
投稿者: 団塊世代後 投稿日時: 2009/04/26 21:40:33
保守思想の神髄とは?
国家を大事に思うことである。
ここから定義したい。そうすると日本国を貶める。悪く言うことは保守思想では無い。昨今のB層に働きかけるマスコミは保守思想とはかけ離れた存在だ。最近では、JAPANデビューのドキュメンタリーで台湾の偏向報道をしたNHKは、保守思想の反対にある。国営放送なのに不思議なことだ。
【国家が大事だ】というと「戦前回帰の軍国主義の風潮へ導かれる」「軍靴の足音が聞こえる」とワンパターンの過剰反応するマスコミ人、知識人がいる。そう主張する彼らは反日左翼に多くいる。
1.反日左翼、ここで定義はマルクス史観の人々。彼らは総じて自虐史観である。戦後生まれの団塊世代に多く見られる傾向である。戦後の偏向教育を受けた世代で洗脳度が大きい。そうでは無い方もいらっしゃるが、人数が多いだけに大きな思想的流れを形作っていたと言える。全共闘、学生運動など彼らの時代の象徴的な出来事である。
2.その反対に右翼は、マルクス史観に毒されない人々。
3.保守は、連綿と続いた日本の伝統文化を大事にする人々と考えると左右両方にいる。
さて、保守の反対は何であろうか?私は以前、【疑うべきは「西欧合理主義、民主主義、人権主義、平等主義】と投稿させて頂いた。
疑うべき【西欧合理主義、民主主義、人権主義、平等主義】が保守の反対にあると思う。これらは、全てヨーロッパからユーラシア大陸を通じて西回りで伝わり。アメリカからは東回りで、戦後GHQによって日本人の心にしみ込んだ。
表向きは、聞こえの良い言葉となっているがその根本は西欧思想である。注意しなければいけないのはそれらの思想はけして普遍的な考えで無いということである。日本は地政学的にヨーロッパからの思想は、西回り、東回りでその二つがぶつかり合う地点にある。
今や其の思想が日本文化と融合して、日本独自の文化、思想を形作る胎動期であるのかもしれない。紆余曲折は我慢して、それをゆっくり見つめたいものだ。
我々は、最近の経済混乱を経験して、ヨーロッパが発祥ではあるが異形の国アメリカを通じて伝わった思想が危なかしいことだと気が付いた。
これは英国やフランスなどの古き良き時代を大切にする思想がアメリカを通じて突然変異した結果だ。アメリカの英国、ヨーロッパに対する独立戦争が起因してると思う。独立戦争の歴史をもっと繙けば異形の国アメリカが見えるかもしれない。
根源的な保守思想は、ヨーロッパでも大事にされている。日本は、ヨーロッパと同様に、もともと歴史の重みをアメリカより持っている国である。保守思想は日本人の心に染み付いている。この保守思想を大事にしよう!保守思想が再び日本で蘇れば、日本の再生も可能だ。

2009/4/27 月曜日 at 10:45 AM
作家・野上弥生子の孫に長谷川三千子という哲学者がいます。彼女に言わせると、民主主義は、決して普遍的価値ではなく、所詮、戦勝国の掲げた理念に過ぎない。もし日本が勝っていれば、例えば、皇国史観は正しいということになると。彼女の言説には、賛否両論喧しいでしょうが、しかし、アメリカ製”戦後民主主義”に骨の髄まで染まっている日本人は、一度、彼女のように物事を考える必要があるのではないでしょうか。かく言う昭和22年生まれの私も、佐伯や西部の説く保守思想に魅かれ始めたのは、ようやく40代の半ば頃からです。戦後民主主義の、申し子的存在である我ら団塊の世代の間で、”保守”という思想が正しく理解されることは、そうたやすくない…。しかし現下の日本社会の惨状から脱するには、”保守思想”へ回帰するしか道はありませんね。
2009/4/27 月曜日 at 11:59 AM
薩摩藩の島津斉彬が、江戸時代末期に開国か攘夷かと国内が二分した時、開国をして海外の知識、技術、思想を多く知り、取り入れるべきは取り入れ、捨てるべきは捨てよと西郷隆盛に言ったそうです。
当時、西郷は、攘夷派の藤田東湖の印象をこう述べています。
「彼の宅へ差し越し申し候と清水に浴し候塩梅にて心中一点の雲霞なく唯情浄なる心に相成り帰路を忘れ候次第に御座候」
彼(東湖)の御宅に伺った時は、まるで清水を浴びたような、心に少しも曇りのない清らかな心になってしまい、帰り道を忘れてしまうほどでした。
尊皇攘夷を島津斉彬は、否定していませんでした。
そして、西郷隆盛をあえて尊皇攘夷派の藤田東湖の処へ通いさせ尊皇攘夷の素晴らしさをあえて触れさせて、攘夷かぶれの思想に触れさせて、天皇を本当に守る為には、あえて敵を知り、己の弱点を知らねば、天皇を守れる事などないと説いて、開国して自分に欠けている事を知り純粋で尊い思想を固持する事こそ尊皇攘夷であると言ったそうです。
団塊世代後さんと匿名さんの保守思想も一理ありますが、すべて欧米思想が悪い訳でもないと思います。
一つの事に傾くバランスのない事が、危うい片寄った考え方になって行く結果となります。
貴方の言う
>保守思想の神髄とは? 国家を大事に思うことである。
と言う事は賛成出来ますが
>そうすると日本国を貶める。悪く言うことは保守思想では無い。
と貴方の言う事は賛成できません。
極端な保守が良いのではなく、日本の悪い事や欠けている事を削り補填する事こそ本当に国家を大事に思う事だと思っています。
2009/4/27 月曜日 at 5:55 PM
民主主義の一環である多数決などある時点で急に欧米から輸入してものでなく昔からある方法と思いますよ。過去から江戸時代までかなり起こされた一揆など完全に多数決(全員一致)でしかも起請文(誓い)付きと思いますし、一揆により幕府による大名の藩地替えを阻止していたりしています。そもそも「国」とは如何なる概念でいつごろ生まれどのように変遷(国という概念の変遷)しているかを調べてみたら如何でしょうか。過去の我が列島の庶民(虐げられた庶民も含め)の底力はかなりのものと思います。歴史ある国とは、過去の経緯を踏まえた行動の結果で現在があり更にそれらを踏まえてこれからを作っていくという意味でしょう。確かにこの意味で米国は「特異な国家」と思います。「保守思想」って一言で説明できないと思いますが、歴史を踏まえて行動すると言う思想でしょうか?
2009/4/27 月曜日 at 7:32 PM
@ 成山:
まさに多数決が正しいとは思いません。
自由=身勝手、平等=弱者と強者が競争する事、民主主義=ヒットラーをドイツ国民が選択した、などと言う事になってしまいます。
自由、平等、民主主義には前提条件が有ります、生善者説であり、成熟した大人が多数で集団指導体制で行うと言う事になるでしょう。
スパルタ教育が悪い事でないと言われるゆえんは、理屈抜きに悪いものは悪いと言う一種の強制された道徳を叩き込む必要が有ります。
中国や北朝鮮の国民が国から徹底的に強制して叩き込まれた南京大虐殺は、必要以上に捏造された者ですが、日本の「自由=身勝手」で南京大虐殺が無いなどと言う教育も困ったものです。
結局、良いか悪いかが必要な事で、左翼か右翼かが大事な事ではないのです。
2009/4/27 月曜日 at 10:04 PM
@ :
匿名 (2009/4/27 月曜日 at 10:45 AM) 様
長谷川三千子さんを紹介して頂いて有り難うございます。
彼女の著作、民主主義とは何なのか (文春新書)について以下の紹介文があり、手に入れて読んでみたいと思います。
民主主義を称揚するのはたやすいが、疑義をさしはさむのは容易ではない。猛烈な反発に立ち向かう勇気と膨大なエネルギーが必要だからだ。本書は知のエネルギーを最大限にふりしぼって、民主主義の「いかがわしさ」に挑んだ渾身の労作である。
疑うべきは【民主主義】と思っている方がいるということですね。意を強くしました。
2009/4/27 月曜日 at 10:08 PM
@ :
成山 様 貴方の投稿の以下の文
中国や北朝鮮の国民が国から徹底的に強制して叩き込まれた南京大虐殺は、必要以上に捏造された者ですが、日本の「自由=身勝手」で南京大虐殺が無いなどと言う教育も困ったものです。
【南京大虐殺が無いなどと言う教育】とは何を指しているのでしょうか?
日本の教科書によって、あったという歴史教育はなされていると記憶しますが、、
2009/4/27 月曜日 at 10:09 PM
> まさに多数決が正しいとは思いません。
正しいと思わなくても、最終的には多数の意思に従うか、どうしても嫌なら、法の範囲で戦うか、法を無視して戦うか、そこから離れるかでしょう。何にしても障害は付いてまわるでしょうが、生きて行く以上は仕様が無い事かも知れません。
> 結局、良いか悪いかが必要な事で、左翼か右翼かが大事な事ではないのです。
言いたい事は分りますが、この世に、絶対的な良い悪いは無いと考えた方が良いと思います。
2009/4/27 月曜日 at 10:19 PM
@ 成山:
貴殿の投稿以下
民主主義の一環である多数決などある時点で急に欧米から輸入してものでなく昔からある方法と思いますよ。
仰る通り日本でももともとそのような概念はあったと思います。例えば、戦国時代の合議制がそれに該当すると思います。
また、以下の文
そもそも「国」とは如何なる概念でいつごろ生まれどのように変遷(国という概念の変遷)しているかを調べてみたら如何でしょうか。
有り難うございます。この点については、日本の中世の歴史から見えることかもしれません。頼山陽の日本楽府なども興味のある本です。まだ私は国という概念の変遷について言及できないので、貴殿の考え、知識を披露していただくと有り難く存じます。
2009/4/28 火曜日 at 12:56 AM
B層の多数決による民主主義は衆愚政治でしかない。
2009/4/28 火曜日 at 10:11 AM
@ 中庸:様へ、「貴方の投稿の以下の文」は小生へのご意見に関する文章と思います。「南京大虐殺が無いなどと言う教育」は行われていないと思います。また、南京大虐殺と言うより戦闘はあったと思いますが、当時非常に狭い地域(世田谷区程度で城壁・・10m以上と思う・・で囲われた地域)で取材(朝日他)中の記者様がのんびりとした記事を書いて送っていたような状況とのことなので、巷間に騒がしい数万人から30数万人の虐殺があっとようには思えませんよ。歴史とは己の国の政治的な行為をそれに至った経緯と結果を論理的および合理的に説明するまたはしたものと思っています。従い、国家間の行為を説明するならばどちらかに優位な記述になる部分もあるだろうしそうでない部分もあるのは当然でしょう。しかも、現在の思想で論評して記述するのではなくて当時背景となる思想とか動静がちゃんと説明できなければその当時の政治的な行為の論理的な説明ができないでしょう、現在の思想とか動静で当時の政治的な行為を説明するなら、戦闘と言ってもよいし大量虐殺と言ってもおかしくないですよ。歴史を持つ意味は現代および後世の人々に世の中(世界)がどのように動いて行くのかをある程度見極める指針となるだろうことと国家間の争点において「論理的且つ合理的な説明」があれば優位性が保てる場合が多いということと思います。歴史のない国は歴史のある国との争点で優位性が低くなると思います。この意味で当時の「唐王朝」に対抗するために「日本書紀」が編纂されたように言われています。
2009/4/28 火曜日 at 10:46 AM
@ :「自由、平等、民主主義には前提条件が有ります、生善者説であり、成熟した大人が多数で集団指導体制で行うと言う事になるでしょう。」に付いて、集団指導制、例えば最上位の指導者達が8人いてその合議制である政策に関して結論をだすとしましょう(これのやり方は異議がないと思います)。では、8人は政策に関して議論する場合どのような考え方が必須とされるか、多数決により結論を出したとすれば、その結果に関してどのように対処することが必須なのか。鎌倉幕府が貞永式目を制定した時にこれらの事柄に関して執権泰時が非常に悩やんだ(理によって議論し結論を出す)ようです。執権泰時は合議制を指導したが結論を強制したわけでない(幕府の成り立ちから言って執権泰時と言えども強制は無理だったと思います)。
「スパルタ教育が悪い事でないと言われるゆえんは、理屈抜きに悪いものは悪いと言う一種の強制された道徳を叩き込む必要が有ります。」について、「悪いもの」の基準を明確にするかその基準が長い期間かかって世間に通用しておりこれからも通用するだろうといことが前提でしょう。そうでないと基準も知らずにそれが通用しない状況になったらどのようにすれば良いか迷うのではないでしょうか。基準とか世間で通用する事柄を固定化できるならこの説は納得できますが、世の中は多数の人々で構成されるのでやはり揺るやに変化してゆくのが常ですので固定化させるのは至難のことと思います。従い、基準も緩やかに変えて行かなければ世間(人々)に受け入れられないと思います。但し、比較的に長い期間に渡って理屈抜きにウンウンの事柄は当然あると思っています。
2009/4/28 火曜日 at 11:07 AM
@ 団塊世代後:様へ、小生は古い文献が読めませんので、山元七平氏、岡田英弘氏および加藤陽子氏の著作を読んでそれとなく歴史というものをわかろうとしています。参考までにお知らせしました。
2009/4/28 火曜日 at 11:44 AM
@ :「尊皇攘夷」は鎖国思想と思います。が、倒幕後、維新新政府はなぜ欧米と外交を開いたのでしょうか?「尊皇攘夷」は単に倒幕の大儀名文の御旗として使ったのではないかと誰もが思ったでしょう(自分も明治維新ことを学校で聞いた時におかしなことだと思っていました)。要するに自分たちの都合の良いことに世間の耳目を集め、結果倒幕の目的を達成した。では「攘夷」はどうするの?時の新政府の中心達は下士といえ武士ですのでその行為の前提と結果に関してかなり悩ましかったのではないでしょうか。幕府側であった人々の中にも多くの論客が生き残っておりどうしたものか考えたのでしょう。その結論が開国としても「何かの基準」に沿っていなければ「攘夷」に関して反対の行為(開国)の正当性の説明ができませんね。
2009/4/28 火曜日 at 12:03 PM
@ :長谷川三千子氏の著作は読んでいませんが、民主主義とは下記に述べるような政治制度と思っています。少数意見(少数派)が尊重される、もっと具体的に言えば、多数の合意に賛同できない勢力が将来(近いかどうかに関わらず)に自分たちの意志(考え)が多数により賛同されることがあると言う「希望を持てる制度」を持つ政治制度と思います。要するにいつかは自分たちの考えが実現できると期待できる政治制度と思います。これがいえるためには何例かの具体的な事例が必須です、それが皆無なら期待できなと思うことになるでしょう。例えば米国における日系人の強制収容に関する米国政府の正式謝罪と慰謝料の支給などが該当すると思います。
2009/4/28 火曜日 at 12:03 PM
@ 成山:
「尊皇」という言葉に日本独自の保守的思想のヒントがあるように思います。
「尊皇攘夷」の「攘夷」に拘っていても仕方が無いように思われます。
2009/4/28 火曜日 at 12:31 PM
@ :「尊皇」は倒幕時に出てきたよう見えますが如何でしょう。鎌倉以来それまで幕府の対応は一貫して皇后など設けること皆無の待遇のように見えます。尊皇は長い期間かけた培われた日本独自の思想に思えませんよ。
2009/4/28 火曜日 at 1:04 PM
長い間培った常識は、伝統と言う言葉に置き換えられる事もあるでしょう。
しかし、上下関係を教える為に、鍛える事を超えて、いじめになったり、事故死させてしまう事が最近起っているようです。
この鍛えると言う伝統には、連帯責任と上のものが全ての責任を取ると言う、伝統が伴わなければならないと思います。
今までいじめられていたから、自分が新しいものをいじめると言う間違った事になってしまうのは、下のものを鍛える中で、出来ない者が出来なければ、出来る者も責任を取ってより以上に出来る者は、出来る様にしておく事で、実践になった時に、出来ない者をカバーする実力と精神を鍛えると同時に、出来ない者は、自分が出来ない事によって、人に迷惑を掛けられないと自覚して、出来ない事を出来る様に、頑張ると言う事だと思います。
ようは出来ても、出来なくても頑張ると言う事と自分が、頑張る事で、団体に対しての責任が、果たせるようになると言う事だと思います。
そしてその中で助け合う責任感があり、連帯感が培われて団結心などと言う事に繋がって行くのだと思います。
伝統とは、この様に色々な事が、絡み合って成り立っているものだと思いますから、助け合うと言う一番大切な心が無く、いじめると言う事と勘違いして、形だけ真似をしているので、出来ない者を死に追いやるまでいじめてしまう事になるのだと思います。
こんな考え方は、多数決の民主主義の思想では、成り立ち難い考え方かも知れません。
自由=身勝手や平等=弱いものも強い者も一緒、なんて考えとはちょっと違う美徳と言う考え方でしょうか。
しかし、民主主義、自由、平等を主張する欧米にも騎士道精神で、弱いものの象徴である女性を優先するレディーファーストで、不平等の伝統を培っていますし、そこには勝手な言い分も言えませんし、それは多数決で決める事なく、伝統として宗教と共に培われているのです。
そうすると、良い伝統は日本にも欧米にもある事になってしまいますから、日本でも欧米でも良い事は見習い、悪い事は止めると言う事になります。
2009/4/28 火曜日 at 2:33 PM
@ :「伝統と上下関係」:伝統そ教えるのに上下関係が必要と思いません。上下関係は伝統を伝える過程で自然と備わると思います。何せ伝統を教える側にのみその技量が備わっているのですから。「伝統と連帯責任」:お説に少し無理があるように思います。連帯責任とは少しでも関連するものが全員で責任を取るということでしょう、上のものだけではないと思いますが。「頑張る」:動機がなければ長続きしないと思います。だた、頑張れでは無理と思います。所属団体に対して責任があるからでなくてまずは己に対する責任が先で団体云々はその結果と思います。「助け合い」:弱きをくじき強気を助ける風潮では無理で、弱きを助け強きをくじく風潮でできる「精神(信念)」と思います。これは小さき頃から両親により躾けられなければ育たないと思います。成人してからではかなりの努力が必要と思いますので矯正にかなりの費用(経済的、人材および時間)が掛かると思います。だからそのような精神を持たない多くは世の中かから見捨てられた(関わりたくない)状態に陥っています。「自由=身勝手や平等=弱いものも強い者も一緒・・・」:かなり乱暴な評論に思います。「自由」は「他人の自由を束縛しない」と言うかなりきつい条件つきと思います。「レディーファースト」:昔の武家社会は「女子の権利」に関して現代以上のものがあったようです。例えば、三下り半で即離縁とはいかなかったようです。以上、自分勝手に思ったことを述べました。
2009/4/28 火曜日 at 2:48 PM
@ 成山:
貴方は文言での歴史上の討論を望んでいるのですか?
「尊皇攘夷」の「攘夷」の部分に過剰に反応されいるように思われ、コメントを入れさせて頂きました。
団塊世代後さんの主題スレ内容の<保守的思想を大事に><保守思想を賦活させれば日本が再生するのでは>との内容に共感し、私なりに日本の保守的思想を考える上では「尊皇」と言う事が重要なのではと思いコメントさせて頂きました。
2009/4/28 火曜日 at 3:20 PM
@ :政治の世界に「尊皇」を持ち込むべきでないと思っています。「尊皇」は人々の心(精神)の中にあるもの思います。せっかく源頼朝が「天皇制」と「政治」の直接的な関わりを切り離したのに維新で繋ぎ合わせた結果(鎌倉以前の政治思想)、対外戦争の繰り返し、勝っている間は内政上余り問題がなく経済は順調に拡大、しかし第二時世界大戦に完膚無きに叩かれて(原爆2個)玉砕的な敗戦、この敗戦に関する精神(思想?)の後遺症は未だに正常に戻っていないように思えます。僕は、「尊皇」は各人の心の中に宿っている(長い伝統)ので、「ある政治権力」によりそれが大儀名文で表面化するまたはさせられた場合に誰もがそれに逆らえない状況に陥ったから(普通のひとは自らの心にさからえない)維新以来対何度も外戦争を起こしたことの一因(当然、これだけはないですが)と考えています。精神的に無検討になる要因の一つは排除したいです。
2009/4/28 火曜日 at 4:00 PM
@ 成山:
>「尊皇」は人々の心(精神)の中にあるもの思います。
>「尊皇」は各人の心の中に宿っている(長い伝統)
仰るとおりだと思います。尊び敬う事だと思います。
政治的に利用などはもってのほかです。
ただし、その精神を忘れがちに成るが故、現代日本の堕落があるようにも
感じてしまうのです。
2009/4/28 火曜日 at 8:23 PM
私の拙い投稿に対して様々な方からコメント頂き有り難うございます。
そして深みのあるコメント群となっており、再度読み返しとても触発されます。有り難い事です。
様々な知識、作家(長谷川三千子、加藤陽子)の紹介、感謝します。因に、岡田英弘氏は、数冊読ませて頂き中国の歴史について理解できたと思っております。
さて、
匿名 : 2009/4/27 月曜日 at 11:59 AMさんに反応します。
私の投稿以下
【保守思想の神髄とは? 国家を大事に思うことである。
ここから定義したい。そうすると日本国を貶める。悪く言うことは保守思想では無い。】
と申し上げたことは多少乱暴であった。
匿名氏の指摘する
【日本の悪い事や欠けている事を削り補填する事こそ本当に国家を大事に思う事だと思っています。】
→この点については異論はありません。こういう考えもあると思います。
【日本国を貶める。悪く言う】ことについて、【殊更】と言う言葉を付加したい。
【殊更、日本国を貶める。悪く言う】ことは【国家を大事に思う】ことの反対であり、私は嫌いです。この点については各人それぞれ温度差があることでしょう。
一方、【一つの事に傾くバランスのない事が、危うい片寄った考え方になって行く結果となります。】については全面的に同意します。
なぜそうなるのかと考える。
私は疑うべきは【西欧合理主義】と以前指摘させて頂いた。この【合理主義】こそ、【1,0】の論理で片一方に偏る危うさがあると思っています。
【1,0】の論理的な思考は人間の脳に心地よい、脳はそれを欲するようにできている。だから人間が作ったコンピューターのプログラムは【1,0】で構築されている。このプログラムの苦手な所は曖昧な人間の直感を表現することです。数学者の藤原正彦氏が『論理の積み重ねは危うい、直感を大事にしたいものだ。』と指摘していました。数学者であるから深みのある言葉として記憶しています。
政治も然り、最近のマスコミ含めた輿論の風潮がこの【1,0】の論が際立ち過ぎており、危うい風潮だなといつも思っています。今後、また、保守思想について皆さんと意見交換ができれば幸いです。
2009/4/29 水曜日 at 11:41 AM
@ 成山:
成山様、以下の投稿に対するお返事です。随分時間が過ぎてからの投稿となりますがご容赦下さい。
成山 :
2009/4/28 火曜日 at 10:11 AM
中庸の以下の投稿文についてです。
中庸 :
2009/4/27 月曜日 at 10:08 PM の投稿は、
匿名 :
2009/4/27 月曜日 at 7:32 PM
@ 成山: 匿名様に対してでした。
失礼しました。 匿名さんが多く混乱した投稿をしまして申し訳有りません。
仰る通り、
【南京大虐殺が無いなどと言う教育」は行われていないと思います。】
ということに同意しています。
また。成山様の歴史の見方は同感です。歴史は時間軸で眺めることが重要だと思っています。今現在の尺度で歴史を見ることは、今を生きる我々の傲慢に他ならないのです。