裁判員制度に対する危惧
投稿者: 日本男児 投稿日時: 2009/04/22 16:21:26
まもなく裁判員制度が実施される。
賛否姦しいと言うか、どちらかと言うと反対意見の方が優勢のように感じられる。
私も、どちらかと言うと反対である。
その理由は、
1.取調べの可視化が完全には行われない事。
2.検察が、被告に有利な調書、証拠の提出を拒む事が出来る。
の2点である。
検察が、自己の面子の為に、何が何でも有罪を勝ち取ろうとして、被告に不利な証拠、供述書のみを証拠として開示し、それに基づいて脚本を書いたら、素人の裁判員などはひとたまりも無く騙されることになであろう。
そもそも、裁判とは、先ず犯罪の真実を解き明かす為に有るのだと私は思っている。
検察は、捕まえた容疑者を何が何でも有罪にする事が勤めではない。
弁護士も、容疑者を何が何でも無罪にする事が勤めではない。
裁判とは、両者が協力し合って、各々が異なる視点から先ず真実を知る努力をする事が使命であリ、そこから罪状が明らかにされ、有罪であれば罰が与えられるべきだと思う。
先に述べた2点が此の儘で裁判員制度が実施されれば、殆んどの裁判員は、冤罪に関わりたくないために、多少疑わしくても、無罪に1票を投じる事になろう。
いづれにしても、正しい裁判からはかけ離れたものになる危険性を孕んでいると思う。
法治国家の危機であると思う。
そして、裁判員制度を実施する、しないは別にして、冤罪事件をなくす為に、検察は弁護側が要求した証拠は全て提出しなければならないように法律改正せねばならない。(米国ではそのようになっているそうです)
取調べの可視化も全て行うように法律改正せねばならない。
これは、検察が世間から信頼を取り戻す重要な第一歩である。
こんなことで、私は、裁判員を拒否できる良い方法が無いものかと日夜考えております。
どうしても、裁判員にさせられたら、私は何が何でも、無罪に1票を投じるつもりです。
私が投じた有罪の1票の為に一生を棒に振った方が後に冤罪であったなんて分ったら、取り返しがつかない。私は、そんな事に平然と耐えられるほどの鈍感な人間では有りません。

2009/4/22 水曜日 at 7:27 PM
和歌山カレー事件は裁判員制度を前提に状況証拠があれば動機を解明できなくても有罪にして良いと言うとんでもないメッセージを出しました。こんな状況では裁判員制度は開始まもなく戦前の陪審法のように停止すべきです。
2009/4/22 水曜日 at 11:09 PM
俺が裁判員になったら、証拠の全面開示が無かったら、全て無罪。
人を1人でも殺したら死刑、ナイフなら一突き、拳銃なら一発命中で死ぬ以外は正当防衛だけど、それ以外は死刑だ。
2009/4/23 木曜日 at 8:06 AM
学生時代の専攻が経済だったこともあってか、わたしは今でも、各種法律の条文を読もうとすると、日本語なのに、訳が分からなくて頭が痛くなります。条文をもっと読みやすい日本語に……。しかし、明治維新以来この方、本郷と霞ヶ関に君臨する法科万能主義者にとっては、分かり辛くしておいた方が、その道の”専門家”としてメシが食えるから、手をつけようとしない。裁判員制度をスタートする前に、こういう”非常識集団”は、どうしたら”常識集団”になれるのか、私たちのような市民にも意見表明の場を設けるなどして、何年もかけて検討することが先ず必要なのではないでしょうか。それをいきなり”裁判員制度”から始めるとは言語道断。この論談でもよく、”三審制”だとか、裁判の体系を示す専門用語が登場しますが、そのような制度のことも、正直、私にはよく分かりません。全体の法体系を理解せずして、裁判員など務まる訳がないと思うのは、私ひとりだけでしょうか。このままで裁判員制度を開始するのは絶対反対!。断固拒否します。罰金を課せられるそうですから、貯金を始めなくては……。
2009/4/23 木曜日 at 11:37 AM
@匿名:
>”分かり辛くしておいた方が、その道の”専門家”としてメシが食えるから、手をつけようとしない。”
その側面は確かにあるけど、法律遵守でもより益がでるように、あの手この手で動くのがこの資本主義社会、市場経済社会なのではないかと私は思っています。
酒造界では、法によって発泡酒が酒になるかで酒税にかかわる。業者は税対象を避けるべく法の抜け穴を研究する。勢い不良酒も市場に出回る。すると国は法の条文を改正する。建設界においては、業者が容積率限度一杯に基準法の抜け穴を研究する。勢い不良建築も乱立する。すると国は法の条文を改正する。そんな繰り返しが関係法の改正に動き、結果、穴埋め継ぎ足しのような法文が構成されていく、そのようなことによっても法が分かりにくくなるのも法の宿命。
法は出来立てはその時の社会に適合できても、経年変化とともに社会にそぐわない条文となることは。憲法9条改正論などの憲法改正が叫ばれる今それを誰もが実感できるものと思います。
法は確定されたものではなく、時代に即して変えていく必要が常にあると私は思っています。その根底には国民の自浄力とその国民大多数の総意がそこに必要であることは当然のことですが。
今回の裁判員制度には、国としてもある程度の長所短所は予測してその対応を設けていると思います。具体的には裁判の採決決定は本職の裁判官によって成されるとされていて、裁判員には民間の感覚を裁判に反映してもらおうというのがその主旨と受け止め、われわれ裁判員がその裁判をどう判断したらよいか分からないなら、分からない、許せないなら許せない、など、個人のそれぞれの種々の感覚、感情を示せすことが、この裁判員制度の主旨に沿うのではないかと私は思っています。
2009/4/23 木曜日 at 5:06 PM
さんが書きました:
”
有益な示唆を有難うございます。しかしどうして刑事事件からスタートするのでしょうか
ね?民事の方が普通の生活人は圧倒的に発言しやすいはずなのでは?……。
2009/4/23 木曜日 at 6:38 PM
我が国の裁判は大きく2つの事柄を取り扱っています。一つは犯罪の有無(有罪/無罪)、もう一つは有罪の場合の量刑(刑期/罰金)です。裁判員で問題になるのは量刑の決定と思います。つまり、死刑、無期懲役、有期懲役、・・・・を決定することが裁判員にとってかなりの心理的な負担となると思います。これは従来通り裁判官の仕事と思います。従来、量刑、特に死刑、無期懲役・・・に関して裁判官の裁量・・・多分に判例に準じる量刑・・・であるが、犯罪の残酷さとか社会通念上の感情とかとかけ離れた量刑が適用された場合に非難轟々となるように見えます。ここに裁判官の責任回避を容易にするために裁判員制度を導入するように見えます。従い、国民が裁判に関わるとするなら英米と同じように陪審制度に置き換えるべきと考えます。陪審員は犯罪の有無に関してのみ評決を行い、量刑は従来通り裁判官が決定するようにする。評決は検察側と弁護側との「証拠」に関する論争を評価して「証拠」に疑わしさがあるなら無罪と評決すれば良く、これが疑わしくば被告人の有利にということの意味でしょう。また、量刑に関しては判例でなくて新たに厳密且つ詳細に決め直す必要があると思います。そして、量刑としての死刑を廃止するなら終身刑および合算有期刑を絶対い導入すべきと思います。なお、犯罪の有無で容疑者自身が有罪と認める(該当犯罪を起こした)なら、即、量刑裁判に入れば良いと思います。現在、犯罪の有無は起訴された時点でほぼ決まっているように見えます。特に刑法犯の場合起訴有罪率は90数%です。つまり、検察官が犯罪の有無を決定してしまっていることになります。従い、裁判は量刑を決めることを長々とやり、時に、さかのぼって犯罪の有無の判定に戻ったりしていることがあり、非論理的で非合理的に見えます。裁判員制度は裁判官の量刑決定に関する責任回避以外のなにものでもないと考えます。即、廃止して陪審制を導入すべきです。それも全ての裁判に関してです。
2009/4/23 木曜日 at 6:46 PM
@ :
>民事の方が普通の生活人は圧倒的に発言しやすいはずなのでは?
確かに私もそんな思いをします。
裁判員制度は、地方裁判所で行われる刑事裁判について導入されるといわれています。しかしどうして刑事事件からスタートするのかと言う思いは、確かに私もします。これは私の個人的な考えですが、民事は個人間の軽度の争いが数多く、その民事事件の量刑は刑事事件程に重くならないケースがほとんどで、民事裁判に一般人が裁判員として参加すると、判決後あるいは量刑を終えた被告と裁判員の関係になにかしらの怨恨を生じる可能性があるからではないかとも思います。
それに比べて刑事事件は、一定の重大な犯罪であり、例えば、殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪(刑事裁判の控訴審や民事事件や少年審判等は裁判員制度の対象外)などが扱われるそうですが、その量刑は重く、社会的批判が高く、また関心の高い犯罪でもあり、厳しい量刑による拘置所での更正教育が成されることもあり、量刑を終えた被告と裁判員の関係には、一定の社会の監視が生まれるからではないかとも思います。それでも、再犯の可能性がゼロということには現実はなりませんが。
それでも今の日本の裁判制度に、民間の感覚、思いを入れ込むことの意義が、日本の長い裁判制度の歪みを是正することに益すことにあれば、それはそれで、われわれ国民の意思を表す機会になるのではと思っています。
2009/4/23 木曜日 at 7:18 PM
@ :>日本の裁判制度に、民間の感覚
これが日本の「司法制度」が国民の一人一人の手中になく一部の人々(裁判官、検察官、弁護士と学識経験者)に握られていることを如実に示していると思います。
2009/4/24 金曜日 at 10:07 AM
@ :
>”何年か前に霞ヶ関村の笑い話として、飛行機や新幹線を使えば日帰り可能な時代なのに、在来線全盛時代の出張規定が生きていて、東京=広島間は一泊二日が義務づけられているというのがありました。同種の例は官庁の専売特許ではなくて、私の働いていた民間企業でも、程度の差こそあれ、経験しました。実態に規定が追いつかない……。”
官庁、公的機関のルールや慣習はそのまま民間企業のルールや慣習の下敷きとなることは、その関係する企業会社に従事したことのある人には、まったくうなづけることです。
ご指摘の事例は、当初は良きルールや慣習であっても、長い間そのルールや慣習がそのまま顕在化するとその当初の主旨にそぐわないものとなってしまい、種々の弊害を多方面に及ぼすという事例の典型になるのではと思います。
今回の裁判員制度もこの事例同様に、時代にそぐわない部分を、民間人の種々の意見が入ることによって是正されていくのなら、その意義は少なからずあるのではと私は思っています。またそこには、関係機関は当然、われわれ国民もまた自らの自浄力をはたさなければならないとも思っています。
2009/4/24 金曜日 at 12:32 PM
@ 成山:
>これが日本の「司法制度」が国民の一人一人の手中になく一部の人々(裁判官、検察官、弁護士と学識経験者)に握られていることを如実に示していると思います。
今度の裁判員制度の実施を足がかりに、われわれ一般国民一般庶民の意思が、司法だけでなく憲法問題、社会福祉問題など、多くの問題が待ち構える今の日本の政治に届くようになれば、われわれ一般国民一般庶民の政治への意識も次第に深まっていくのではないかとも思います。
2009/4/24 金曜日 at 1:33 PM
@ :おっしゃることは良くわかります。草薙さんはなぜ家宅捜査をうけたのでしょうか?多分、公然わいせつ容疑は家宅捜査の対象になるのでしょう、ただし、予見捜査に思えますよ、本来なら尿検査が黒になってから家宅捜査でしょう、それまでの間、捜査員を張り付けておけばそれで十分間に合いますよ。従い、不起訴になるか罰金を承認するなら裁判員はこの件に上記のような意見を述べようがないですね。法に誤りがある事を国民一人一人が権力を持って指摘して直させることができる可能性がある制度がなければ国民主権といったところで絵に描いた餅と同じと思います。一部の人々が「法」を制定/運用する国家(それ以外の国民は犯罪時のみ被告として関われることが憲法で保障されている:裁判を受ける権利)とは独裁国家(裁判を受ける権利があるかどうか不明です)とそれほど違わないといえるのではないのでしょうか。
2009/4/24 金曜日 at 5:31 PM
@ 成山:
>草薙さんはなぜ家宅捜査をうけたのでしょうか?
子細は関係者当局しか知り得ないことと思いますが、これも私の個人的見解ですが、容疑者の取り調べを行いその言動や行動、精神状態を観察した結果、薬物反応の残存の有る無しに係らず薬物使用の可能性を疑い、家宅捜査を行ったのではないかと思います。
それは、当然に、マスコミ週刊誌の報道がエスカレートすることを予見して、前もってその疑いを払拭する狙いもあったのではないかとも思います。国民的知名度と人気のあるタレントの社会に及ぼす影響は、金銭的にもその業界の信頼度への影響も極めて大きく、通常の扱いより慎重なものになるのではと思います。
また捜査方針には、水面下ではこのタレントの所属するジャニーズ事務所や所属弁護士からの接触や、在籍する宗教団体からの接触の可能性もあるかもしれません。
このケースを裁判員制度にあてはめて考察することは、甚だ困難なことかもしれませんが、おそらくは、薬物使用などといった犯罪でない限り、不起訴処分として扱われることになるのではないかと思います。
>国民主権といったところで絵に描いた餅と同じと思います。
そう思います。
それでも、言わないより言って行動を始めることも肝要ではないかと私は思います。最初から完璧な制度が保障されて運用できるほどこの日本社会がいまあるとは思いません。
現実には一足飛びに完璧に運用することは難しいと思います。難しいとは思いますが、始めて行く事でより良好な制度を目指して一つ一つ築いていく努力を官民がその双方の自浄力を持って、実践していくべきではないかとも思います。
2009/4/24 金曜日 at 6:39 PM
@ :お考えは良くわかりました。裁判員が加わった裁判で無罪、検察が控訴して有罪、・・・最高裁で有罪となった場合、一審で参加した裁判員は己の判決をどう考えたら納得するのでしょうか?大半はやはり高裁/最高裁の判断が正しと思うしかなく、無力感を持つ事にならないだろうか。従い、裁判員制度を導入するなら裁判は1回にすべきでしょうし、三審制で行うなら高裁、最高裁に裁判員を加えるべきでしょう。それをしないのは高裁、最高裁に素人が加わるのは許せないという考えがあるように思います。なぜなら、現在、裁判の審理の大半は「量刑」の審理だからです。犯罪の有無に関する審理はほとんどなされない。刑法犯の場合、起訴された時点でほとんど有罪です。つまり、裁判員が職業裁判官と共に量刑。。。死刑を含む。。。を判断しなければならないのですよ。殺人に関する容疑者の量刑の決定(。。。現在は判例に従う。。。例えば一人なら無期とか3人以上なら死刑とか。。。)は裁判員にとりその心情はかなりつらいのではないのでしょうか。。。。。結果、裁判員制度廃止、陪審制度の導入になれば幸いですが。
2009/9/6 日曜日 at 9:35 AM
ジェンダーフリー論者ほど裁判員の性別構成を気にするのが可笑しい
女が男に厳しいとは限らないんだよ
同じことは女性裁判官にもいえる
2009/9/7 月曜日 at 5:13 AM
実際例では被害者への感情移入が強く重罪化傾向が有り懸念された通りです
2009/9/9 水曜日 at 10:46 AM
検察側に傾いた判決が続いたなかでやっと被告人よりの判決が出ました。
もっとも親族間事件で被害者の父も処罰を望んでいなかった事情がありますが。
刑罰の性質に関する論点を含む難しい例でしたが、妥当な判決が出たようです。
2009/10/18 日曜日 at 10:21 AM
裁判員制度での量刑が求刑の8割で従来と変わらないというが、裁判員に求められているのは、冤罪防止で、罪の評価ではないだろうと思う。
2009/11/22 日曜日 at 4:32 PM
同じ強制わいせつ等事件に青森地裁と札幌地裁で懲役15年と8年という大差がついた。
多少内容あh違うが裁判員の構成の違いが際だつ
今後こうした例は増加するだろう困ったものだ