犯罪の陰に女あり[その6]

投稿者: ジャーナリスト 投稿日時: 2009/04/20 10:29:50

高裁の判決を不服とし、最高裁へ上告。
あとは、最高裁の判断を待つだけとなった。

地宗一郎校長は、中部中学校へ栄転し、いよいよ教育長の椅子が近くなったように感じられた。
地宗校長の後任として、高師台中学校へ牧野茂昭校長が赴任してきた。

6月になって、天○弁護士から岩本に連絡があり、最高裁から上告棄却の連絡があったと聞かされた。

岩本が天○弁護士に「どうするんですか?」と言うと、天○弁護士は
「そこは我慢強く・・・・」
と言うだけだった。
つまり、我慢強く戦えということなのだ。

それから、天○弁護士は岩本には何も連絡することなく、岩本と天○弁護士との関係は自然消滅のようになった。

岩本は今までの経過の中で、2人の弁護士には不信感をいだくようになっていたので、天○弁護士に依頼したことのある人を捜して、いろいろ聞いてみると、負けるはずのない裁判で負けてしまったと怒っている人が多いことがわかった。

弁護士会から懲戒された記録がある本も見つかった。
岩本は今まで通り勤務を続けた。

自分は何も悪くないという気持ちと、怒りが収まらない気持ちからだ。
7月になり夏休みも近くなったある日、教育委員会より牧野茂昭校長のもとに、上告が棄却された旨の連絡が入った。

牧野校長はあわてて、愛知県教育委員会へ出かけた。
岩本へは学校で待っているように指示をした。

夕方、牧野校長が帰ってきたのは午後の6時間目頃の授業の時だった。
牧野校長と岩本とのやりとりが始まった。

「判決が確定した以上、学校を去ってもらいたい」
「私は何も悪くないです。私はただ地宗一郎校長の言うとおりにしただけです。地宗校長は、面倒なことになったら責任持ってやると言いました」

牧野校長は渋い顔をし、校長室の中を何回も歩き回ると、思いついたように緊急放送のスイッチを入れた。

そして
「岩本先生は退職されました」
といきなり全校放送を流した。

教室はちょうど、帰りの会の時間で、教室のあちこちから生徒のざわめく声が聞こえてきた。
岩本はたまらなくなって、飛び出すように学校を後にし帰宅した。

数日経つと、牧野校長から岩本へ連絡があった。豊橋市教育委員会へ同行するようにとの連絡だった。

教育委員会へ行くと古○教育長が
「君のことはなんとか考えるから」
と言い、しばらく勤務を控えるようにとのことを話した。

岩本は地宗一郎校長と連絡をとり、訪問することにした。
地宗校長は岩本の不満を一通り聞くと
「君はどこまでも真っ直ぐすぎるのが欠点だ」
とか
「長いものには巻かれろ」
などと言い、岩本が「自分は悪くない」と言うと
「ほいじゃ何で裁判に勝てんだん」
と言った。

そして
「これで教員ができんと、まだ十何年フイになるなあ」
と言いながら、表情がニヤニヤしているのに岩本は腹が立ってきた。

その後一年ほど経過したが、岩本へは何も連絡はなく、時が淡々と過ぎて行った。
岩本が少し懇意にしていた楽器店の社長を訪ねたとき、社長は地方新聞を見て
「へえ、古○教育長退職したのか」
と言った。

教育長は任期半ばで病気を理由に退職したことを、岩本は知った。
その後、岩本はこの事件を始めからたどっていくうちに、ある疑問を感じ始めた。

それは、自動車共済へ共済金(賠償金)の請求をしていないのに、藤田ふさの入院費用などが交通事故扱いで支払われていたことだった。

岩本は日教組の自動車共済(日教済) の本部へ、扱いがどうなっているのかを問い合わせた。
日教済は竹山和美と名乗る係が出て、調査して文書で回答すると返事をした。

数週間経過しても返事がないので、再び請求すると「ただいま調査中です」との内容のFAXが届いた。

その後約半年、まだ返事が来ないので、再度請求すると今度は岩本のもとへ日教済の顧問弁護士から内容証明で
「当方は何も不正はしていません。あなたがホームページに掲載している内容は抹消してください。そうしない場合は法的処置をとります」
との文書が届いた。


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