健全な保守 健全な革新
投稿者: 投稿日時: 2009/04/03 10:17:46
人間は本来 保守と革新を内面に持っている
不安定の時は安定を希求し、安定しているときは新たな冒険・挑戦を目指す。
健全な精神状態であれば、この繰り返しがスムーズに行われていくのではないか。
精神が病み、これの状態に齟齬が起きればさまざまな弊害・病気になる。
保守・革新といっても現在社会で行われているように烙印をおして判定するようなものではないだろう。
伝統的であろうとすることと新しくあろうとすることの違いかもしてないが、伝統的といわれている京都の文化をよく観察してみるともっとも革新的な要素を不断(絶え間なく)に取り入れていることに驚かされことがある。
政治の世界での保守・革新は、固定するものではなく絶えず入れ替わるものだろう。
政権に就いているほうは、運営している政権の形を守ろうとするのが当然であり、野にいるものは新しい形を提起して支持を得ようと訴えるのが当然である。それが社会にとって健全な姿ではないか。
国民はいま何が必要なのかを一票を通じて評価・判断する。
そうして、その時々にあわせて何が・どういう形が国民の幸福に最適なのかを決定してもらう。
国民には理性が必要であり、政治家には、この謙虚さが必要である。
政治家は、このような国民の希望を正しく受け止め、時代に合わないと判断されたきは潔く下野して自身の改革を行いつつ態勢を立て直し国民の支持を待つ、あるいは国民に訴える。これが正しいあり方なのではないだろうか。
万年与党でも腐臭が漂うし、また万年野党で政権を伺う意志がなければこれも腐臭(加齢臭といったほうが良いかもしれない)が漂うことになる。
小沢氏の今までの行動を注意深く観察し分析してみると「互いに政権交代ができる社会の実現」を目指していることがわかる。小沢氏の描く政治の世界の理想像がこのようなものではないかと思う。
国民は、小沢氏の過去に拘泥するあまり、氏の理想と実現しようとする政治をみあやまってはならない。
蓮の花はどぶの中からしか咲かない。清流の中にだけいたのでは栄養の欠如した弱々しい植物にしかならない。
どぶの中、ヘドロの中に嘗て居た、その残滓が目に付く、というだけで非難することの愚かさをやめようではないか。
ここで 一市民として強く訴えたい。
「いま小沢氏を絶対に失脚させてはならない。氏の理想とするところをさらに掘り下げ、豊かに肉付け実現していかなければならない」
と。
一市民より 国民諸兄へ

2009/4/3 金曜日 at 1:07 PM
政権交代が必要と言うのは良く解るが小沢さんではだめだ、我々日本国民がどぶの中へ突き落されて在日やどこぞの国がそのどぶの栄養で綺麗な花を咲かせる事になる。
小沢さんとそれに追随する数名の政治屋が退き、新しい民主党として生まれ変わってから是非とも政権交代をお願いしたい、なるべく早い日にそうなる事を祈る。
2009/4/3 金曜日 at 1:34 PM
一日本国民 さんの意見に類するかもしれないが、
ネットサーフしているときに以下の意見を目にした。 一読を
2009年4月 3日 (金) 「小沢一郎氏の顔に見えるリアリティ」
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/
2009/4/3 金曜日 at 2:02 PM
「文は人也」を感じさせるまことに格調の高い投稿文に接しました。斯様な明晰にして、情感溢れる文章を綴るお方の、小沢擁護論に賛同します。二十数歳で議員バッチを着けてから今日まで、好き嫌いはべつにして、これほど世の注目を浴び続けてきた政治家は、おそらく小沢一郎だけでしょう。大物の証拠です。党首辞職を”世論”(マスコミが形成する訳の分からない代物)が求めているといったことは、どうでもいいことです。問題は民主党の一部の議員達の言動です。やれ、小沢党首では選挙に勝てないだとか、やれ、一緒に選挙ポスターには写りたくないだとか、人間としてまことに情けない。小沢党首を戴き、来るべき選挙で、敗れれば敗れたで、よし、とする気概を示さなければ、ほんとうの民主党支持者は離反して行きますよ…。
2009/4/4 土曜日 at 1:20 AM
素晴らしいですね。一票の重み。まさに”赤心を推(お)して人の腹中(ふくちゆう)に置く”西郷隆盛の矜持と敬天愛人の心を忘れず、為政者として啓いてほしいと思います。
2009/4/5 日曜日 at 11:19 AM
李白
大雅久不作 大雅久しく作(おこ)らず
吾衰竟誰陳 われ衰へなばつひに誰か陳(の)べなん。
王風委蔓草 王風は蔓草(マンソウ)に委(まか)し
戰國多荊榛 戦国には荊榛(ケイシン)多し。
龍虎相啖食 龍虎あひ啖食(タンショク)し
兵戈逮狂秦 兵戈(ヘイカ)狂秦に逮(およ)ぶ。
正聲何微茫 正声なんぞ微茫(ビボウ)たる
哀怨起騷人 哀怨、騒人を起せり。
揚馬激頽波 揚・馬、頽波(タイハ)を激し
開流蕩無垠 流を開きて蕩(トウ)として垠(かぎ)りなし。
廢興雖萬變 廃興、万変すといへども
憲章亦已淪 憲章もまたすでに淪(ほろ)べり。
自從建安来 建安よりこのかたは
綺麗不足珍 縞麗なれども珍とするに足らず。
聖代複元古 聖代、元古に復し
垂衣貴清眞 衣を垂れて清真を貴(たっと)ぶ。
群才屬休明 群才、休明に属し
乘運共躍鱗 運に乗じてすべて鱗を躍らす。
文質相炳煥 文質あひ炳煥(ヘイカン)して
衆星羅秋旻 衆星、秋旻(あきぞら)に羅(つら)なる。
我志在刪述 わが志は刪述(サンジュツ)にあり
垂輝映千春 輝(ひかり)を垂れて、千春を映(てら)さんとす。
希聖如有立 聖を希(ねが)うてもし立つことあらば
絶筆於獲麟 筆を獲麟(カクリン)に絶たん。
詩経の大雅のようなしらべ正しい詩はもうながく盛んにならないが
この李白が老衰したらもう誰がいえよう。
大雅のあとには王風の詩があったがこれも蔓草の中にすてられ
戦国時代になるといばらややぶばかりとなった。
この時代には龍や虎のような群雄がかみあい
戦火が焚書のきちがいじみた秦までつづいたからである。
この間ただしい詩のこえはちいさくかすかになり
ただ哀怨のあまり離騒を作った屈原を出したのみだ。
漢では揚雄や司馬相如が衰えかけた勢をもとにもどそうとし
その流派の勢は蕩々としてかぎりなかった。
かくて興りすたれてさまざまにかわったが
詩の正しい法則はもうなくなってしまった。
漢末の建安からこちらは
美しい詩だがたっとぶには不十分だ。
聖人の代たる唐ではもとのむかしにかえり
政治も衣裳を垂れる無為をもととし清貧をたっとばれた。
おおくの才子が大いに明らかな徳にむかって集まり
天運にのってみなその龍の鱗のような才能を見せた。
あやと生地(きじ)とがまじりあってあきらかにかがやきあうさまは
もろもろの星が晴れた秋空にならんでいるようだ。
僕の志は詩をえらびその傑作をあとにつたえ
これが光を放って千年もかがやくようにすることだ。
聖人孔子のまねをしてもしも一人前になれたら
同じく筆を獲麟に絶ちたいものだ。
引用が長くなったがこの投稿をよませていただいたとき思い出した詩です。
(たなかかつみ【田中克己】散文集 『李太白』1944
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/tanaka/sanbun/rihaku01.html
より引用させていただきました 一読されたい)
いま政治・社会を見るとき、私利私欲が組織的に常態化し、ジャーナズムは無能の者達が肩をいからして跋扈し、さらにはいかがわしい宗教家が権力の一部を占めている。嘆かわしいかぎりである。
この時代に一石を投じ、その方向を示唆した御意見であると感じました。