起訴されて有罪
投稿者: 成山 投稿日時: 2009/03/30 17:05:49
「老妻を惑わせているテレビと新聞報道(西松違法献金)」の投稿内容に、「ということは、やっぱり起訴されて有罪になるのね」とあります。
これが我が国の司法制度の欠陥を端的に表す国民の感想(感情)と云えます。
つまり、起訴されれば有罪と云う道筋、検察官が起訴を決めた時点で有罪、まあ、検察官としては有罪を確信するのだから起訴するのだろうが、起訴すなわち有罪であるとすれば、検察官が犯罪に関して判断(判決)を下していると云えます(起訴しなければ無罪)。
論談の読者の皆様、これはおかしいと思いませんか?
「そんなこと当たり前だろう」というような指摘もあるように思いますが、起訴されれば有罪であるなら、裁判官は有罪または無罪の判断を本当にしているのだろうかとい疑問が起こります。
米国の司法制度が我が国の司法制度より優れていると思われる点は、「陪審制度」にあると思います。被告は、全て、民事、刑事と問わず全て「陪審制度」を選択することが可能との事です。
つまり、刑事なら有罪または無罪は「検察官」と「弁護士」による犯罪の有無(犯罪の存在性)に関する証拠に基づく論戦を「陪審員(国民)」が評価してどちらに正当性(最もらしさ)があるかを結論つければ良いのです。結果、有罪または無罪となります。
西松違法献金に関して陪審員が「無罪」と評決した場合、その起訴の基になる法(政治資金規正法)自体に欠陥がある事になり法改正せざるを得なくなります(なぜならこの手の資金集めが堂々と行われるから)。このことは、国民が法、この場合、政治資金規正法を改良するきっかけとなり得ます。
少なくとも、国民が貴重な時間を割いて司法に関わざるを得ないとすれば、裁判員制度より陪審制度の法が上記の点、法改正の直接的な動機付け、において国民が自分の国(法治国民国家)に直接に関われると言うことが自覚できると思います。
お上とか外国からの押しつけの民主主義でなくてそれが本来の民主主義な国民国家というものでしょう。

2009/3/31 火曜日 at 10:25 AM
> 起訴すなわち有罪であるとすれば、検察官が犯罪に関して判断(判決)を下していると云えます。
裁判所での判決は裁判官が行い、起訴すなわち有罪とはなりません。これは日本では常識。
> 起訴されれば有罪であるなら、裁判官は有罪または無罪の判断を本当にしているのだろうかとい疑問が起こります。
起訴されても有罪とは限らないから、裁判官は有罪または無罪の判断を本当にしており、これも日本では常識。
> 米国の司法制度が我が国の司法制度より優れていると思われる点は、「陪審制度」にあると思います。
米国の司法制度が我が国の司法制度より駄目だと思われる点は、有能な弁護士、すなわち、高額の費用のかかる弁護士を雇うと、無罪になる確率が大変高くなること。
これは、弁舌が上手で法律に関しては素人の陪審員を巧みに丸め込む能力のある弁護士を雇うか否かで裁判が左右され、本来の法律に基づく判決が出されにくいと言うこと。
結果として、判決は金次第と言うことになる。
> 西松違法献金に関して陪審員が「無罪」と評決した場合、その起訴の基になる法(政治資金規正法)自体に欠陥がある事になり法改正せざるを得なくなります(なぜならこの手の資金集めが堂々と行われるから)。
賛成。
もし、「無罪」の判決が出たが場合は、政治資金規正法自体に欠陥がある事になり法改正をして、この手の資金集めが堂々と行われるのを防がねばならない。
> お上とか外国からの押しつけの民主主義でなくてそれが本来の民主主義な国民国家というものでしょう。
その通り。
小沢一郎のような資金集めが堂々と行われ、金で政治や行政が左右される国は民主主義国家とは言えず、それを非合法とする法律を作れる国が本来の民主主義な国民国家というものです。
2009/3/31 火曜日 at 7:29 PM
@ 一読者:その趣旨を理解できなくてしているのかわかっていて確信犯的にいっているのか知りませんが、成山氏の投稿に対するあなたのコメントはおかしいんじゃないですか?
2009/4/3 金曜日 at 2:20 PM
@ 一読者:
現在、刑事事件に関して起訴有罪率は90数%です。また、国税に関する訴訟では国の勝訴率は99%以上でしょう。これって何かおかしいとお思いになりませんか?「司法」は他の2権から独立していなくて「行政」に従属している証でしょう。このような事が起こらないために三権分立が考えられたのでしょうが、それは今の日本で「死に体」ですね。三権分立は「権力」の構造を示しているのであって、「権力」の「監視」をどのようにするかということは別次元(「権力」の上にあるもの)の仕組みと思っています。この仕組みの一つが「選挙」と思いますが、選挙は「立法」権を持つ権力者を選ぶ具体的な方法であり、選挙民(国民の部分)が直接的に「司法」と「行政」の権力とそれを持つ権力者を選ぶ仕組みでありません。従い、「司法」と「行政」の監視は三権の相互作用で抑止されるということでしょうが、これがうまく機能していない(建前上は機能しているが、実質的に機能不全に陥っている)。今は「行政」が最大権力保持者と思われます。なぜなら、三権の予算は実質的に「行政」が決定しているからです。従い、三権(権力構造)を監視する権力または仕組みを我々国民がもたねばならないと思います。その一助が「司法」における陪審制と思っています。